毒を食らわば皿まで

アダルトチルドレン(AC)・吃音症・社交不安障害(SAD)・依存症・うつ病の方、また、心を病むすべて方へ

心のシャッターを閉ざしてしまう話

シャッターの研究

 

人に不快なことを言われ、この人「嫌い!」「無理!」となり、心のシャッターを閉じてしまう。以後、その人の言うことすべてが受け入れられなくなってしまう。

誰しもそのような経験があると思います。

このたび、そのようなことを「シャッターの研究」と題して、当事者研究をおこないました。

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なぜ、シャッターの研究をしたいと思ったのか?


ここ数年、私の身の上に、心のシャッターを閉ざし、人との関わりを断ってしまう。
そのようなことが続きました。
また、年々、心のシャッターを閉ざすスピードが早まり、頻度もが増えている自覚がありました。


心のシャッターを閉ざすことが悪いことだとは思いません。
しかし、心のシャッターを閉ざしてしまう自分自身に問題があると自覚しており、果たしてこのままでいいのだろうか?と思っていました。

そこで、

なぜ、心のシャッターを閉ざしてしまうのか?
心のシャッターを閉ざさずに済む方法はないか?
一度閉ざした心のシャッターを開ける方法はあるのか?

の三つについて当事者研究してみようと思うに至りました。


 

なぜ、心のシャッターを閉ざしてしまうのか?

 

私が心のシャッターを閉ざしてしまう理由は三つあります。


一つは、自分自身を守る防衛のためです。
これ以上こんなことを言われ続けたらたまったものじゃない、だからシャッターを閉じ、その人の言うことをシャットアウトしてしまうといったケースです。
たとえば私は「ポジティブ教」「絶え間なくPDCAサイクルを回せ」「一方的な価値観を押しつけられる」などされると心のシャッターを閉ざしてしまうことが多いです。


二つ目は、その人と分かり合うことを諦めてしまったためです。
自分とかけ離れた価値観を持つ人に対して、「この人とは分かり合えない」と分かり合うことを諦め、心を閉ざしてしまうケースです。


三つ目は、人を見下すためです
これは当事者研究会では話していない内容で、後に私が内省した内容です。
見下すとは「あなどって相手を下に見る、みさげる」ということであり、社会では良くないこととされています。
しかし、見下すということが、私の中ではわりと頻繁に起きているように感じます。
いいも悪いも人を見下すということは、自分自身気付いていないだけで、わりとナチュラルにおこなわれていることなんじゃないかな?と思ったりもします。


たとえば、私は仕事の関係で、いわゆる「先生」と呼ばれる方のお話を聞く機会が頻繁にあります。
しかし、その先生の言うことが、事実と異なっていたり、信憑性に欠ける場合、「この人の話はもう聞く価値がない」と一瞬で心のシャッターが閉じてしまい、瞬く間にその先生の話を聞く気が失せて行きます。

「こんなことも知らない、調べないなんて専門家としてどうなのだろう」という思いが背景にあり、人として見下しているというよりも、専門家として見下しているのだと思います。


以上、私が心のシャッターを閉ざしてしまう理由を三つ述べました。
あなたと共通点はありましたか?
あなたが心のシャッターを閉ざしてしまう理由は何でしょうか?


しかし、昨今、シャッターを全開にして他者とコミュニケーションを取る人は極めて稀なのではないでしょうか?
この人は気の許せる親しい友人だから、ここまで話してもOK、だけどこの人は会社だけのお付き合いだから、ここまでしか話さないでおこうと、ある一定の線引きをすることは誰にでもあると思います。
現実は、誰しも人との関係性や親しさに応じてシャッターをどれくらい開けてコミュニケーションを取るかを調整しているのではないでしょうか。


 

心のシャッターが閉ざされるメカニズム



メカニズムというほど、たいそうなものではありません。
私が心のシャッターを閉ざしてしまう流れを表にまとめました。

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心のシャッターを閉ざさないためには、また、一度閉ざした心のシャッターを開くには、どこへアプローチする必要があるのでしょう?

まず、心のシャッターを閉ざさないためには、すでにステップ3で心のシャッターが閉じてしまっているため、ステップ1・ステップ2へアプローチする必要がありそうです。

次に、一度閉ざした心のシャッターを開くには、心のシャッターを閉ざしてしまったステップ3以降へアプローチする必要がありそうです。

以下、当事者研究でメンバーから出た意見や対処方法、それに対しての自分の見解を私なりにまとめて行きます。


 

心のシャッターを閉ざさずに済む方法はないか?

 

 

なぜ、その人がそう言ったのか意図を聞いてみる


文字通り、言った相手に言ったことの真意を問うことです。

人の言ったたことに対し不快と感じるのは、相手の言ったことに悪意がある場合、相手の言ったことを自分が歪んだ解釈をしてしまっている場合の二つに分けられます。
相手に落ち度があるか、自分に落ち度があるかです。
ですので、相手に悪意があったのか、なかったのか?自分の解釈が正しいか、正しくないか?また、相手がなぜそんなことを言ったのか?を確認するために、人に意図を聞くのです。

しかし、人のそのような言葉は意図せず不意に来るものであって、言われた瞬間に「嫌!」「無理!」となってしまったり、また頭が真っ白になってしまうこともあり、言われてすぐ意図を聞くことは難しいかもしれません。また、人にそう聞くことで「うざいやつ」「面倒臭いやつ」と思われてしまうかもしれませんし、時・場所・場合によっては「とてもでないが聞けない!」ということもあり、その部分が人に意図を聞く難しさだと思います。

 

ぶつかり方を考え直してみる

 

不快なことを言われ、「コイツ無理!キィーーー!」となってしまったときの自分を、一度冷静に観察してみてください。
言われた不快なことに対して、ガチになっていませんか?真正面からぶつかってしまってはいませんか?距離が近くなり過ぎてはいませんか?
私がそうなってしまう場合、ガチで真正面から、それも近い距離でぶつかってしまっている気がします。
あなたはどうでしょうか?


もし、ガチでぶつからなければ、真正面から相手にしなければ、距離を少し取ることができれば、「嫌!」「無理!」とならずに、心のシャッターを閉じずに済むかもしれません。

以下、当事者研究で出た、そうならないためのアイデアです。


例として、あなたが上司の花形課長に怒られている場面を想定します。

1.「また花形劇場が始まった…」
あなたが花形課長に怒られている場面を、客観視するというか、幽体離脱したもう一人の自分が見ているというか、まるで劇を観ているかのように見てみてはどうかというアイデアです。

2.「ショートコント」
花形課長から怒られる直前に、心の中で「ショートコント」と言うことで、これからあなたが花形課長に怒られる場面をショートコントにしてしまおうというアイデアです。
1.の劇にしてしまおうというアイデアの類型です。

3.花形課長の語尾を、すべて「~だにゃあ」と猫語に脳内変換する
キツい物言いや強い言葉は、より心にダメージを与えます。
ですので、上司のキツい物言いや強い言葉の語尾を「~だにゃあ」と猫語にすることで、受けるダメージを減らしてはどうか?というアイデアです。
大勢の人前話す際、緊張するときは「人をかぼちゃだと思え」なんて言いますが、花形課長を脳内で猫にしてしまうのもアリだと思います。


この三つのアイデアに共通するのは、ガチで真正面から近い距離でぶつからないためのアプローチであり、あなたが不快と感じるセンサーを鈍らせることで「嫌!」「嫌い!」となりにくくするためのアプローチであるということです。

自分が不快と感じるセンサーが正常ではない、自分のセンサーの感度が高いという場合、心理療法の世界では認知行動療法が用いられるのがスタンダードでしょう。
認知行動療法を行なうことで、良い影響を与えない認知を根っこから修正する根治療法がベストなのは言うまでもありません。
しかし、これまで長年慣れ親しんだ認知を変えることは一朝一夕にできるものではありません。また、長い時間、そのサポートを専門家に依頼するとなると多額の費用も生じます。
しかし、このようなアイデアであれば明日からできるし、費用もかかりません。
もし参考になるものがあれば、ぜひためしてみてください。



他の人はどのように対処しているのか観察し、いいところはパクる


また花形課長にご登場願いましょう。
学校や会社で、このような場面に遭遇する人は少なくないと思います。

 

同僚「花形課長ってマジありえなくね?」
あなた「わかる」

 

この会話からわかるのは、同僚もあなたも花形課長はありえないと思っているということです。
このような会話が交わされたなら、同僚がどのように花形課長と接しているのか観察し、参考になるところがあれば積極的にパクるというアイデアです。

 

 

一度閉ざした心のシャッターを開ける方法はあるのか?

 

 

違う人に言われたとしたらどうか?
言い方が変わったとしたらどうか?


言葉は、「何を言われるか?」という内容そのものより、「いつ言われるか?」「どこで言われるか?」「誰に言われるか?」「なぜ言われるか?」「どのように言われるか?」かによって大きく印象が変わることがあります。
※俗に言う5W1Hというやつです。


まず、違う人に言われたらどうか?
つまりWho、「誰に言われるか?」についてです。

たとえば、不快に感じる言葉を、尊敬している上司と、とてもではないけれど尊敬できない上司の二人から言われたとします。
あなたはどちらが受け入れられやすいでしょうか?
とてもでないけれど尊敬できない上司から言われた場合、「テメーが言うな!」と思う一方で、尊敬している上司から言われた場合、「この人が言うのだから少し耳を傾けてみよう」と思えるのではないでしょうか?

また、病気の話をしているときに、一般人と医師がまったく同じことを言ったとします。その場合、一般人の言うことよりも、医師の言うことの方が圧倒的に支持されるのではないでしょうか?

このように、「何を言うか」よりも「誰が言うか」の方が、受け手に大きく影響を与えるケースは多々あります。

そこで出たのが、言われた不快な言葉を、「もし違う人から言われたとしたら、どう感じるだろう?」と捉え直してみてはどうか?というアイデアです。

ここで言う違う人とは、あなたがポジティブなイメージを持っている人の方がいいかもしれません。
リアルの人に限らず、歴史上の偉人でもいいし、漫画やアニメに登場するキャラクターでもいいと思います。


次に、言い方が変わればどうか?
つまりHow、「どのように言われるか?」についてです。

「言うことはわかるけどさ、何もそんな言い方することなくない!」という怒りは誰しも一度は経験したことがあるでしょう。
よく、「物は言いよう」なんて言いますが、まったくもってその通りです。
「何を言うか」よりも、むしろ「どのように言うか」という配慮が欠けていたがために起きるケンカの方が圧倒的に多いのではないでしょうか。

そこで出たのが、言われた不快な言葉を「もっと気の利いた言われ方をされたら、どう感じただろう?」と捉え直してみてはどうか?というアイデアです。


自ら積極的にその情報を取りに行く


不快なことを言われ、「嫌い!」「無理!」となってしまうのは、受け身だからなのでは?という話が出ました。
このような場面は、意図せず不意に来るものであって、あらかじめ構えることはできません。ですので、受け身なのは当たり前と言えば当たり前です。

しかし、受け身か自ら働き掛けるか、その姿勢によっても言葉の捉え方は変わってくるものです。
そこで出たのが、言われた不快な言葉に対して、自ら働き掛けてみてはどうか?というアイデアです。
具体的には、その言葉の意味をググってみる、その言葉を違った側面を探ってみる、その言葉を掘り下げてみるなどが上げられます。
結果、不快に感じた言葉は実は偉人が言っていた言葉だったとわかれば少し感じ方が違うかもしれません(それでも受け入れられないことも多々ありますが…)。

とはいえ、不快な言葉を言われた後、とてもそんな気分にはなれないこともあるでしょうし、そうすることでよけい傷を深めることになるかもしれません。
その点については自己判断でお願いいたします。


第三者の視点・介入


あなたと相手でどうにもならないものは、間に第三者の視点・介入を入れてみてはどうか?というアイデアです。
ここでどのような話が行なわれたか忘れてしまったので詳細は割愛させていただきますが、第三者に相談し意見を聞いてみる、あなたと相手の間に第三者に入ってもらうという趣旨だったと思います。



編集後記


以上、「シャッターの研究」のレポートとまとめになります。

人間、歳を取るにつれて価値観が固まり、柔軟性が失われるといいます。
私はアダルトチルドレンであり、ASD/ADHD傾向もあるので、他の人よりもこのようになってしまいがちな面はあります。
しかし私もおっさんと言われるお年頃。加齢により価値観が固まりつつあり、柔軟性が失われ始めているのかもしれません。
この心のシャッターを閉ざしてしまうという命題は、私に限らず価値観が固まりつつあり、柔軟性が損なわれてきている中高年の普遍的なテーマなのかもしれません。

こうして心のシャッターを閉じないための、また閉じた心のシャッターを再び開けるための対応策を書いてきたものの、つくづく一朝一夕で片づけられる容易い問題ではないなと実感しました。

最後に、私の「シャッターの研究」におつきあいくださった当事者研究会参加者の皆さま、ありがとうございました。


~私が参加している当事者研究会~

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